
夏になると恋しくなる草履。サラサラとした履き心地は、高温多湿の日本の夏に欠かせないマストアイテムです。この草履は、かつて寒河江や河北町近辺での一大地場産業でした。昔は勤め先などもなかった農村地帯で、冬場、農家では草履編みをして現金収入を得ていたそうです。そうして生活を成り立たせていた土地柄もあり、草履を編む人たちはその技を磨いていきました。かつては学校で「草履編み」の授業が行われたり、競技会が行われたりしていたそうですが、次第に地域産業としての草履は衰退していきます。



そんな中、寒河江で草履の生産を続け、今や日本の草履の90%のシェアを誇るのが「軽部草履」です。代表取締役社長の軽部陽介さんは「創業だけでいうと、もういつからかわからないくらい古いです(笑)。祖父の実家が河北町で草履屋をやっていて、祖父は分家して寒河江に来たんです」と教えてくれました。
軽部草履でつくる草履の一番の特徴は、なんといっても手編みであること。「巷のビニール製、合成皮革、そして自然素材の草履は、機械で織ったものを裁断機で抜いているのが一般的。いちから手編み・手作りで作っているというのはまずうちしかないと思います」と話します。軽部草履では卸も行っているため、材料として「おもて」を使用している草履も含めれば、国内シェアは驚異の90%にものぼるというわけです。

また、軽部草履では、契約農家で「豊国」を栽培。その稲わらを編んで、完全にMADE IN寒河江の草履も生産。これらは、相撲の行事など、神事に使用されているそうです。「豊国は完全に受注生産です。編める職人ももう2人しかいない。80歳過ぎのおばあちゃんが編んだものを在庫しておいて、注文が来たらすぐに出せるようにしています」。技の継承について聞くと「伝承するのは難しいでしょうね。コストが相当かかるし、ゆくゆく在庫がなくなれば、豊国を使用した草履の生産は難しくなるかもしれないです」と、軽部さんは話します。
しかしながら、草履の需要がなくなるわけではありません。軽部草履では、10年ほど前からアパレルにも力を入れており、日常使いの草履を提案してきました。
「手編みの表草履を使って、一般アパレルで使えるものの商品開発をしてきたんです。それが少しずつ浸透してきたこともあって、コロナで売り上げの7割を占めるお祭りがなくなってしまったのを、ほんの少しカバーすることができました」と教えてくれました。
現在は、道の駅や催事などにも積極的に出かけていき、一般の人たちに草履を試してもらっているという軽部さん。「“履いてみたら気持ちいい”を体験してもらって、草履ユーザーになってもらいたい。そこから広がりが出てもらえるといいなと思います」。老舗の挑戦はまだまだ続きます。