明治時代、日清戦争が勃発すると、寒冷地での戦闘を想定し、ウールで軍服をつくるようになりました。寒河江は農業の閑散期には養蚕を行い、屋内で家畜の飼育もおこなっていたことから、当時の日本政府から羊の飼育に適しているとみなされました。これが、”ニットの聖地・寒河江”のはじまり。こうして紡績業が寒河江の一つの産業として確立しました。昭和後期の最盛期には、山形には400社を超えるニット関連企業があったといわれています。「佐藤繊維株式会社」もそうした紡績会社のひとつで、創業は昭和7年(1932)。その卓越したクラフトマンシップは、世界の一流メゾンにも認められています。
佐藤繊維がニットの製造を始めたのは、高度成長期である昭和30年代。当時は、国内ブランドの下請けとしてニット製品を製造していました。しかしながら、国内ブランドが人件費の安い中国へと生産拠点を移し始め、オーダーが激減し、糸も売れなくなった佐藤繊維は窮地に立たされます。時を同じくして、佐藤正樹代表取締役社長は、イタリアの紡績工場を見学する機会を得ました。そこで佐藤社長が見たのは、自分の仕事に誇りを持つ職人たちの姿でした。その姿に衝撃を受けた佐藤社長は「自分のつくりたいものをつくろう」と決心。その後フィレンツェで行われた展示会にオリジナルの糸を出展したところ、瞬く間に話題となり、一流メゾンからのオーダーが続々と入るようになったそうです。
その後も、「世界に一つしかないものをつくる」ことをコンセプトに、自社ブランドをニューヨークで立ち上げます。今でこそファクトリーブランドは一般的ですが、当時はまだ稀有な存在。「工場の分際で」と陰口をたたかれることもありましたが、ニューヨークで話題になったことをきっかけに、日本国内での評価もあがっていきました。現在、「M.&KYOKO」「FUGA FUGA」などの直営店は全国に21箇所、そしてオンラインショップでも販売しています。
「唯一無二」にこだわって生み出される糸や服。その佐藤繊維の名を一躍世に広めたのは、2009年に行われたアメリカ大統領就任式で、ミシェル・オバマ大統領夫人(当時)が着用した黄色いモヘアのカーディガンでした。カーディガンに使用したのは佐藤繊維の極細モヘア糸。ファッションアイコンとして注目されていたミシェル夫人の一ファッションアイテムとしてだけではなく、”ニットはカジュアルな場で着るもの”という当時の常識を覆した、ファッションの歴史を書き換えたアイテムとなったのです。寒河江の糸が、世界の常識をひっくり返した瞬間でした。 佐藤繊維では、ファッションだけでなく、寒河江という地域の活性化にも取り組んでいます。2015年には、本社横の工場跡に「GEA」をオープン。寒河江の賑わいの創生にも貢献しています。 まさにグローカル企業と呼ぶにふさわしい佐藤繊維には、これからも世界からの注目が集まり続けることでしょう。